ニューヨーク日系人会/JAAの歴史
ニューヨーク日系人会は明治40年(1907年)医師・高見豊彦博士が「日本人墓地の購入と日本人の相互扶助」を訴え、設立した「日本人共済会」を基盤にしています。その後ニューヨークの日本人社会では在留邦人の公共機関の必要性から14年に高峰譲吉博士を会長として、高見豊彦博士も副会長の一人となり「紐育日本人会」を設立、「日本人共済会」を吸収合併し、41年の日米開戦で米国政府に解体・凍結されるまで、当地邦人の統一団体として活動してきました。
終戦後「日本救援準備委員会」を設立、46年「日本救援紐育委員会」を発足して、敗戦下の日本の窮状を救うべく「故国同胞を金品を以って支援す」を目的に、ララ (LARA-Licensed Agency for Relief in Asia) を通じて、295トンにも上る粉ミルクや粉卵、綿布などの物資(当時の価格で16万ドル相当分)を5年間にわたって送り続けました。その後、日本の復興と共に、「祖国救援」から「当地在住日系人・日本人の福祉向上と相互扶助」へとその目的を移し、戦後に「東海岸地区に移住してきた戦時強制収用されていた日系人」および「ビジネス、学術研究などの目的で渡米した日本人」へとサービスは移りました。50年11月名称を「ニューヨーク日系人会」と改名しました。その後、既存していた紐育共済会(the Japanese American Welfare Society)を吸収、日米開戦で凍結されていた「紐育日本人会」の活動が米国政府により解除、「ニューヨーク日系人会」に引き継がれ、ニューヨーク地区の日系人・日本人社会を代表する唯一のボランティア活動・地域貢献を中心とした総合団体となり今日に至っています。
2014年9月末、1994年から居た15 West 44th Street から、現在の49 West 45th Street, 11th Floor に移転しました。活動内容も、法律・健康・保険の無料相談、敬老会ランチや病床の方々にはランチデリバリーを始め、幼児を対象としたアップルキッズの会、各種文化教室、新渡米者への情報提供等の多岐にわたりサービスを行っています。さらにニューヨーク地域での日本人移住者歴史資料の整理保存、大学院、大学進学者への奨学金、音楽賞、地域活性化と日米親善のサクラ祭りなどを行っています。2005年には日本国総領事館および各種団体との協力でJAA日系人・邦人高齢者問題協議会を発足し、増加傾向にある日本人・日系人高齢者のニーズに対応しています。今後も、日本人・日系人コミュニティーの発展に寄与していきたいと思っております。
戦後の歴代会長
1946 ‐ 1951 | 本間 ロバート |
1951 ‐ 1961 | 松岡 藤吉 |
1962 ‐ 1963 | 松尾 弘 |
1963 ‐ 1965 | 杉原 久一 |
1965 ‐ 1967 | 岡田 スタンレー |
1967 ‐ 1969 | 杉本 宗吉 |
1969 – 1971 | 幡野 久胤 |
1971 – 1973 | 苅谷 重好 シグ |
1973 – 1978 | 山岡 譲爾 |
1979 – 1982 | 島本 源徳 |
1983(Jan – Jun) | 宮崎 利明 |
1983(Jun) – 1986 | 蘇木 フランシス |
1987 – 1988 | 江見 啓司 ロバート |
1989 – 1990 | 佐藤 登 |
1991 – 1995 | 稲垣 茂 |
1996 – 1998 | 村瀬 二郎 |
1999 – 2001 | 楠本 定平 |
2002 – 2004 | 木曽 敏夫 |
2005 – 2007 | 大沼 スーザン |
2008 – 2013 | 森脇 ゲーリー |
2014 – | 大沼 スーザン |